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平和祈念館19の質問

〇平和祈念館はどんな目的でつくるつもりだったのでしょう。

 

発端は、平成2年の「東京都平和の日」です。

国際法違反の「東京大空襲」は、「東京大虐殺」ともいうべき、民間人の殺戮を目的として行われ、10万人の人が亡くなりました。

※詳しくは、新刊書「偏向平和祈念館建設阻止」か、小冊子こちらをご覧ください。

最初は、「東京大空襲の犠牲者を慰霊する立場にふさわしく、且つ、21世紀に東京の平和のシンボルとなる、、、、」と当然の目的でした。

 

〇そうなると「当たり前の展示」がどうして「自虐展示」になったのでしょうか。

 

計画立案の過程で、いくつかの委員会で議論して来ましたが、二番目の委員会。調査委員会(学識経験者5名)といいますが、そこで「東京は軍事都市だから空襲にあった」という驚くべき歴史観が登場。「アジアの人に犠牲を強いた」「抗日運動」など対象が自虐展示に拡大しました。更に次の段階の委員会(建設委員会)では、公募委員に左翼的思想を持った人たちが侵入、議論は益々左傾化、自虐化して行くのです。

 

〇簡単にいえばどんなプロセスで自虐展示が決まったのですか。

 

・基本構想懇談会・・・加害を展示すべき

・調査委員会・・・軍事都市東京、空襲容認史観・・展示の基本計画

・建設委員会・・・政治的に偏向した公募委員。侵略戦争、加害、被害だけ強調するのはよくない、首都の米軍基地も問題とすべき、、、自虐史観は留まるところを知りません。

〇何で議会がチェックできなかったのですか。

 

知事の「私的」諮問機関ですから、本来は知事に報告、議会にも詳細な報告をすべきですが、「議員の代表も入っているから」と言い訳をし、知事への報告も形だけで肝心なことは報告していないではないかとの指摘に「知事も新聞を見ていますから」とまるで知事を蚊帳の外に置き、議会にも情報を閉鎖したような態度です。都庁ぐるみの情報隠しです。

 

〇一旦「計画が凍結」されたのに、また、「建築推進」の動きがあると聞いていますが。

 

その通りです。「追悼をすべきだ」「集めた資料を公開すべきだ」と建設を推進する運動が展開され、都議選でもアンケートが取られています。

自民党は「都議会の付帯決議が前提で、尊重すべきだ」と回答。都ミファ、公明は無回答だ。

当然の結果で、自民、公明は「建設予算凍結」賛成しています。都ミファは、知事与党ですから、知事の発言から慎重派です。

追悼を名目に「偏向展示」「東京大空襲容認史観」の復活を許してはいけません。

 

〇「石原都知事と一部の都議によって建設が中止になった」と言っていますが、そんなこと出来るのでしょうか。

 

建設推進派は「石原都知事」「一部の都議」というフレーズを使います。いかにも強権で建設が中止になったかのようないい方ですが、実際は最初の凍結は「青島都政」です。また、凍結決議に賛成したのは、自民、公明、民主、無所属クラブで、都議会の過半数が賛成したのです。

 

〇「軍事都市東京」聞いたことがないのですがどんな意味で使っているのですか。

 

それまでのアメリカ軍の都市攻撃は「精密爆撃」という軍事施設を狙ったものでした。これでは粘り強い日本人の戦意をくじけないと、東京全体を目標とした「無差別爆撃」に転じました。それまで爆撃を指揮していたハンセン少将は「戦争に不必要な人道主義者」として批判され更迭されたのです。

住宅街を爆撃したのでは、国際法違反になってしまいますので、東京の下町には下請けの小さな工場があった。つまり「東京は軍事都市」だったとこじつけたのです。

〇最高指揮官が、「東京を火の海にしろ」を言ったと聞いていますが。

 

登場したのが有名なカーチス・ルメイです。

ルメイは江戸時代以降の東京の大火災を研究。三月上旬に発生した大火災が全体の五十パーセントを占めることを発見しました。

江戸時代「明暦の大火」は、三月二日の北風の強い日に起きたことも突き止め、東京大空襲は三月十日の陸軍記念日に決行することに決めました。

〇「建設委員会」に、都民の代表、議会の代表も参加したから、展示内容に問題がないと言っていますが本当ですか。

 

都庁の担当部局は「都民の代表も議会の代表も入っているから、(議会に審査の内容を)報告しなくても問題はない」といっています。約50億の施設をつくるのにこれで良いわけはありません。

大体、知事の「私的」諮問機関の審議の経過を公表しないのは「密室行政」です。

「何故、知事に報告をしないのか」と聞いたところ「知事も新聞は読んでいますから」といっています。とんでもない話です。

 

〇「公募委員」に思想的偏りがあると聞いたのですが。

 

産経新聞が調べたところ

・都の発表は「団体役員」

[実は]日本原水爆被害者団体協議会事務局次長、「平和博物館を創る会」編集委員

・都の発表は「中学教師」

[実は]東京都教職員組合の教文部長

・都の発表は「主婦」

[実は]社民党系の「日本婦人会議」中央常任委員、「東京平和運動センター」代表幹事

・都の発表は「会社員」

[実は]「反核家族新聞」発行人

です。

(産経新聞 平成10年3月11日 調査)

〇本当に組織から送り込まれた「公募委員」なのですか。

 

ある時、左派系の労働組合幹部から「おれたちが送り込んだ公募委員にケチをつけるな」といわれました。確かに出身母体を見ますとそのような可能性が強いのです。

 

 

〇展示計画の概要はどのようになっていますか。

 

平和祈念館展示基本施設概要(案)にAからFの展示内容が掲載されていますが、全体の七分の一から、七分の二しか追悼の展示がありません。

他は日本の加害、軍拡、冷戦、環境の悪化、、、、です。

〇海老名香葉子さんも「建設委員会」に提言を寄せていると聞いていますが。

 

一 テーマをもっと絞っていただきたい。広がりすぎていると思います。狭いスペースで伝えきれなくては残念です。

二 軍事都市東京は絶対反対です。

三 祈念館とするのですから、モニュメント、手を合わせるような、仰ぎ見、頭を下げるべきを作って頂きたいことをお願いいたします。

福山では死亡者を50年たって全部調べて残したとのこと。慰霊祭に参加したしました。やや小型ですがモニュメントは心を打ちます。市民の心が刻まれていると感じ入りました。 

                                  写真を同封します。

                                      海老名香代葉子

〇その頃の都民の意見はどのようなものだったのですか。

 

この平和祈念館の偏向展示については、都民からも多数の反対がありました。

多くの請願・陳情が都議会に出されています。

その件数は、七千二百九十七人が反対。賛成はわずか二百十四人です。

これにより、密室行政を市民と議会が打ち破ったのです。

 

 

〇今、建設推進を訴えている人たちはどんな意図で運動を展開しているのですか。

 

「宙に浮く東京大空襲の遺品」といっています。

確かに多数の遺品が都立庭園美術館の収納庫に収められています。

「戦争体験者の高齢化が進む中、政治的主張とは距離を置いた形で、正しく歴史を教える方法を早急に考えるべきだろう」と私は、令和2年11月19日の産経新聞で発言しています。推進派すべてが「東京大空襲容認史観」ではないのですが、やはり、その考えを展示に含めようとする勢力もあります。

 

 

〇都議議会の付帯決議とはどんなものですか。

 

「展示内容について都議会の合意を得た上で実施する」というものです。余りにも偏った展示内容に議会がNO!といったのです。

小池知事も答弁で、「都議会の議論を踏まえ、扱いを考えたい」といっています。正論です。

 

 

〇批判は分かりました。では、どのような「平和祈念館」がふさわしいと考えているのでしょう。

 

当時から私たちの提案していた平和祈念館構想は、

平和資料館6原則

1、  新設される平和施設の基本性格は、企画の原点である「東京大空襲」にテーマを絞ったものとすべきです。

2、新設される平和施設は、見学者に「東京大空襲」犠牲者への、追悼の心を呼び覚ます展示に努めるべきです。

3、新設される平和施設は、「東京大空襲」の実態を後世に伝える施設とすべきです。

4、新設される平和施設は、「東京大空襲」において民間人が大量殺傷された側面を、世界史の観点から後世に伝える施設とすべきです。

5、新設される平和施設は、「東京大空襲」罹災後の都民の復興の軌跡を伝える施設とすべきです。

6、新設される平和施設の運営は、広く市民に公開された、公平・公正のものとすべきです。

 平和資料館に求められる展示基準3原則

 1、特定の歴史観に偏ることなく公正中立な展示とすべきです。

 2、信憑性の高い資料を展示物として選定すべきです。

 3、青少年に配慮し、残酷な資料の展示は見送るべきです。

 

あくまでも「追悼」を基本に、加えて「東京大空襲の実態」から「戦後の復興」に至る道の展示をすべきです。

〇「軍事都市東京」だから空襲を受けた。広島でも「軍都」と言う言葉が使われていますが、本当はどうなのでしょうか。

 

①最初は東京です。

MXテレビは、こんな特集をしています。つまり軍の施設があったから「東京大空襲があった」と言いたいのです。アメリカの言い分そのまま。

都内を紹介。新宿にあった「陸軍戸山学校」を紹介。次に板橋区の火薬工場。「15万坪」あったそうです。

『広さが想像以上で驚いた』と参加者の声があります。

[ちょっと待って下さい]

15万坪は、495000heh、東京都の面積は、2188000000heh

陸軍富山学校を含め、他の軍事施設を含め【軍都】と言えますか?

「いや、下町に飛行機のリベットを作る工場があった」これもアメリカの言い分と同じ。確かに[一部]には、親方1人、あるいは数人の小さな[作業場]はありました。下町に点在して。

それが【軍都】ですか?

どうしても【軍都】にしたい人がいます。アメリカが10万人殺戮した大空襲を【軍】の責任にしたいのです。

仮に、軍事施設が点在していても下町を狙った無差別爆撃は許されるものではありません。

【そこでそうした人たちに質問です】

・井桁状に計画的爆撃した下町に「どれだけ」の軍事施設があったのですか。

・仮に幾つかあったとしても「精密爆撃」で済みますよね。

・それにハルセンは焼夷弾の使用に消極的でしたよね。それをルメイに変えた意図はなんなのかご存知だと思いますが?

・なんで「民間家屋」を建てて、燃焼実験をしたのですか。最初から民家狙いだった証拠では?

「慰霊」をいいことに「東京大空襲容認史観]「空襲犠牲者の政治利用」は許されません。

 

②次に広島です。

同じように広島を【軍都】と言います。

確かに「軍の施設」は集中していて、軍関係者は4万人いました。

投下時の広島市の人口は凡そ35万人と言われていますから確かに「多いとも言えます」 しかしながら、

35―4=31

つまり、31万人は一般市民なのです。

【軍都】と言いますが広島の場合、「軍が象徴する」市と言えます。

とにかく、多くの一般市民の殺戮をしました。

ここでも、軍の施設を破壊しようとするのなら「精密爆撃」でやるべきです。

昭和20年末までの犠牲者は、14万人ですから、軍関係者を含むとしても、明確に[戦時国際法]に違反した「戦争犯罪」です。

【軍都】【軍都】と展示の枕詞に使うのは「軍」が悪かったを通り越して「アメリカの言い分」の正当性を補完することになります。

軍の施設があるのなら繰り返しますが、「精密爆撃」をすれば良いわけで、模擬爆弾まで使って投下訓練をした「殺戮」は、日本家屋の街並みを作って燃焼実験をした「東京大空襲」と同じく緻密な計画にのっとった行為と言えます。

〇「軍事都市」という言葉は削除したといいますが、、。

 

朝日新聞で土屋敬之都議と川勝平太氏(現静岡県知事)が紙上討論した時も盛んに「軍事都市は削除した」と言い訳をいっています。

確かに「修正案」では「首都東京にあった軍事・軍需施設」と言葉を変えて入れています。その説明には「都内の様々な軍事関連施設が攻撃目標になったことを地図的に紹介する」と書かれていますが、これは、先にあった「軍事都市東京」の説明と同じです。

ことばを変えて論点をずらしているのです。

因みに東京大空襲の対象地区にはこれといった大きな軍事施設はありませんでした。市街地です。爆撃を正当化するために「リベットを作る工場があった」「ジャップは男はもちろんのこと女・子供まで兵器を作っている。女どもも武装し“撃てし止まむ”をスローガンに訓練に励んでいる」とアメリカはいい、建設推進派は「軍事都市」或いは「軍事関連施設」を強調することでアメリカが空襲を正当化することの補強をしているのです。

つまり、ことばは変えても「東京に軍需工場が集中し、軍事の中枢であったために(空襲は)行われたことに間違いはない」という考えに実は貫かれているのです。

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