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新潟県

〇長岡戦災資料館

       https://www.city.nagaoka.niigata.jp/kurashi/cate12/sensai/siryoukan.html

 

■資料館概要

資料館は長岡駅から徒歩数分のところにあり、アクセス良好の場所にあります。

建物は小さく、展示室の一角にパーティションを立てて区切って事務所として使用していました。そのため、資料館を見学していると、電話対応の声が漏れてくるという欠点がありました。

また、資料館が狭いので、団体での来場があると収容しきれません。

東京都での東京大空襲犠牲者を追悼する祈念館建設には適さない広さです。

映像資料閲覧コーナーがあるのですが、閲覧スペースが狭いこともあり椅子の数が少なく、1度に視聴できるのは多くても10名程度ということが難点です。

 

■展示構成

展示の全体構成は「戦争につき進む日本」「アジア太平洋に広がる戦争」「米軍の日本本土空襲」「街を焦土と化した長岡空襲」「太平洋戦争下の茶の間」「ホノルルとの交流」の7部。また、映像資料閲覧コーナーもあります。

展示は、当時の生活品や軍隊手帳、ポスター、写真が中心となっています。

また、永岡空襲に使用された焼夷弾の模型や実物、空襲で焦土と化した街並みを再現した模型なども展示されていました。

 

■映像資料

史料館では十数分の映像資料を閲覧することができます。

米軍のカーチス・ルメイや日本家屋の燃焼実験、日本への本土空襲計画、長岡空襲、焼夷弾爆弾の構造などに関する映像です。

この資料からは、米軍が非人道的な空襲を計画的・意図的に行ったことがわかります。

また、爆撃機から焼夷弾を投下し、その子弾が散らばって落下し、家や家財などが燃えるまでの過程がアニメーションで詳しく解説されています。焼夷弾の子弾が勢いよく落下すると土に埋まってしまい家などの材木に火がつかないという理由で、子弾の尾部にガーゼ状のストリーマー(布)をつけて落下スピードを遅くしている構造などについても解説がありました。

この映像資料は、東京都で祈念館を建設した場合にも非常に参考になります。米軍のカーチス・ルメイや日本への空襲計画、焼夷弾の箇所は東京都の祈念館で使用してもいいと思います。

 

■年表

「戦争につき進む日本」のコーナーでは年表が展示されています。

年表は昭和6年からはじまりますが、この史料館の特徴は年表の最初が長岡に鉄道が開通したことであり、次に満洲事変という点です。戦争や空襲だけでなく、長岡の歴史にも触れることができます。

 

■焼夷弾の模型

「米軍の日本本土空襲」のコーナーには、米軍が投下した焼夷弾の実物大模型が展示されていました。

模型には触れることができるので、映像やイラストではなかなか伝わらない焼夷弾の重さなどを体感することができます。

前述の映像資料を閲覧した後にこの模型を見ると、より理解を深めることができます。

 

■空襲後の市街地の模型

空襲後の長岡の模型も展示されています。

長岡の街はほとんど焼け野原になっており、いくつかの建物の骨格が残っているという悲惨な光景だったことがよくわかります。

 

■戦争下の茶の間

戦争当時の一般的な茶の間が再現されています。

茶の間には鏡台やちゃぶ台などが置かれ、壁には防災頭巾がかかっているなど、当時の日本人の生活を知ることができます。

 

■運営

長岡市が運営しており、入館料は無料となってます。

​■連絡先

長岡戦災資料館
〒940-0061 長岡市城内町2-6-17
電話:0258-36-3269 FAX:0258-36-3335
メール:syomu@city.nagaoka.lg.jp

〇山本五十六記念館  http://yamamoto-isoroku.com/

■資料館概要

資料館は長岡駅から徒歩数分のところにあり、アクセスのいい場所にあります。

展示室は一室で、それほど広いスペースではありません。

受付にはお土産売り場もありました。

 

■全体構成

山本五十六の遺品などが時系列に沿って展示されています。

山本五十六という人物にスポットをあてた展示となっているので、東京都平和祈念館のような歴史的出来事にスポットをあてる展示とは、コンセプトが異なっていました。

東京都平和祈念館では、1人の人物にスポットをあてる特別展を開催する場合には参考になると思います。

 

■書簡、書、写真

子供の頃からの書簡、書、写真、勲章などが時系列に沿って展示されています。

山本五十六が子供の頃に書いた書簡、アメリカ駐在中の書簡、ロンドン軍縮会議予備交渉時に兄に宛てた書簡など、多くの書簡が展示されていました。大和から、ガダルカナル島奪回作戦に関する書簡は貴重な史料だと思います。

山本五十六が謹書した、明治天皇の御製の書も展示されていました。

 

■山本家家系図

山本五十六は高野家から山本家に養子に入っているのですが、御子息が監修した山本五十六の家系図があります。この山本五十六記念館展示のために作成された家系図である旨の説明が書かれていたので、貴重な家系図と思われます。

 

■海軍一式陸上攻撃機の左翼部分と山本五十六が座っていた椅子

山本五十六は、搭乗していた攻撃機がソロモン諸島に向かうときに米軍から攻撃をうけ、ブーゲンビル島のジャングルで戦死いたしました。山本五十六が搭乗していた海軍一式陸上攻撃機の左翼部分が展示されています。ブーゲンビル島のジャングルから持ってきた実物の翼です。爆撃を受けて墜落したので、穴が開いたり曲がっていたりした部分があり、迫力があり壮絶さが伝わる展示になっています。

また、そのときに山本五十六が座っていた椅子も展示されています。

これらは展示室の中央に置かれており、この記念館のメイン展示になっています。

東京都で祈念館を建設する場合も、やはりメインになる展示物があった方がいいでしょう。

■ゆかりの地 山本記念公園

記念館から数分の場所に、山本五十六のかつての生家・高野家があった地に整備された公園があります。

園内には五十六の生家(復元)と胸像が建造されているます。生家の内部は見学が出来ます。

■運営

NPO法人山本元帥景仰会が運営。

入館料は大人500円、中高校生200円となっています。

 

■連絡先

山本五十六記念館

〒940-0056 新潟県長岡市呉服町1-4-1
TEL:0258-37-8001

〇直江津捕虜収容所跡地 平和記念公園展示館

           https://www.city.joetsu.niigata.jp/soshiki/kyousei/heiwa-shisetsu.html

■資料館概要

直江津駅から車で数分、徒歩20分と駅から少し離れた場所にあります。

平和記念公園の敷地内の民家のような2階建ての建物でした。

普段は鍵がかかっており、入館するには近くの民家に鍵を取りに行く必要があります。

 

■全体構成

展示の全体構成は、「直江津捕虜収容所」「平和記念公園をつくる活動の足跡」「カウラ日本人捕虜」「上越日豪協会の活動記録」の3部。

 

■軍服のマネキン

オーストラリアの軍服の上に蓑を着て、藁ぐつを履いたマネキンが1体ありました。直江津捕虜収容所でのオーストラリア人捕虜は、その格好で雪道を歩いて工場へ向かったみたいです。このようなマネキンがあると、当時のオーストラリア人捕虜をイメージしやすくなります。

 

■直江津捕虜収容所の様子

当時の直江津捕虜収容所に関する展示があります。

ただし、当時の写真は数枚の集合写真のみと少ないです。捕虜収容所の建物も取り壊し直前に撮った写真はあるのですが、捕虜収容所として使用していた当時の写真はありませんでした。

そのため、捕虜の様子や建物の様子を絵で補っています。

 

■亡くなった方の名簿

収容所で亡くなった60名の名簿が展示されてます。

名前の他に、死亡日や年齢などが英語で書かれています。

12名だけですが、遺影もありました。

 

■収容所職員の法務死に関する展示

冤罪でBC級戦犯として裁かれた収容所職員に関しては、マッカーサーに宛てた嘆願書に関する展示、追悼法要の写真の展示がありました。

 

■平和記念公園をつくる足跡

捕虜収容所の跡地を平和記念公園として、そこで行った追悼法要、慰霊祭、追悼碑除幕式の写真などが展示されていました。

ここのように宗教色のある法要や慰霊祭は政教分離の原則で難しいでしょうが、東京都での平和祈念館もやはり東京空襲犠牲者を追悼する場は必要となります。

 

■カウラ脱走

オーストラリアのカウラ収容所で起こった日本人捕虜集団脱走の悲劇についての展示もありました。

直江津捕虜収容所との直接的な関係はないでしょうが、おそらくオーストラリアにあった日本人捕虜収容所なので、オーストラリアとの国際交流の意味合いを持った展示だと思われます。

 

■上越日豪協会の活動

1階の展示は、上越日豪協会の活動に関する展示が主になっていました。

写真を貼ったパネルが並べていますので、活発な国際交流が行われていることが伺えます。

 

■運営

公園の敷地内にあるので、土地は上越市が管理してると思われますが、運営や展示は上越日豪協会になっています。

 

■連絡先

平和記念公園 展示館

〒942-0065 上越市川原町8-9 (平和記念公園内)

普段は施錠しされていますが、ご近所の方が鍵を開けてくださいます。

令和4年9月現在は、市職員が開錠しているようです。025-520-5681(上越市共生まちづくり課 直通)

〇白壁兵舎広報史料館  https://www.mod.go.jp/pco/niigata/HP/sirakabe.html

■史料館概要

新発田駅からタクシーで10分と駅からやや離れた場所にあります。

明治7年に陸軍兵舎として建築された建物を陸上自衛隊柴田駐屯地に移築復元しています。

2階建てで、名称通りの白い壁となっています。

 

■全体構成

全体構成は「新発田城」「白壁兵舎」「旧軍関連」「自衛隊」「八甲田山」「オープンシアター」の6部。

パンフレットでは2階の旧軍コーナーの一部に八甲田山コーナーがありますが、実際に視察すると八甲田山コーナーは1階のオープンシアター前になっていました。旧軍コーナーの一部だと違和感があるので、オープンシアターの前という現在の配置の方が適切だと思われます。

 

■新発田城コーナー

展示は、陸軍第16聯隊から始まるのではなく、近代以前の新発田の歴史から始まり、郷土の歴史に触れることもできるようになっています。新発田城とその城下町の模型などが展示されています。

 

■白壁兵舎コーナー

史料館の建物は明治7年に知ら白壁兵舎として建築されており、その縮小模型が展示されています。

また、兵舎の構造や歴史に関する説明や写真も展示されていました。

 

■旧軍コーナー

このコーナーが一番広い面積で、メインコーナーになっていると思われます。

陸軍第16聯隊の発足時から、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、大東亜戦争と時系列に展示されています。その当時の軍服、軍帽、聯隊旗、兵器などが多く展示されています。また、兵士の所持品だった軍人勅諭、寄せ書きの日の丸なども展示されていました。

また、途中には「昭和コーナー」があり、昭和初期頃の一般的な茶の間が再現されています。そのコーナーには、修身の教科書、戦時歌謡のレコードなどが展示されていて、非常に充実したコーナーになっています。

 

■自衛隊コーナー

自衛隊の一年間の活動の写真、災害派遣活動の写真、長野オリンピックへの協力の写真、それらに関連する物品の展示がされています。

戦車や軍艦、戦闘機のプラモデルもずらっと並べて展示していました。これらのプラモデルは自衛隊OBなどからの寄贈されたものとのことです。

 

■八甲田山コーナー

映画「八甲田山」ではこの白壁兵舎が撮影に使われた縁で、撮影時の写真などが展示しています。

史料館の高橋信弘館長によると、八甲田山の映画に当時の自衛隊隊員が部隊のエキストラとして出演しているとのこと。

 

■オープンシアター

自衛隊の広報ビデオをみることができます。

 

■ショップコーナー

自衛隊関連グッズが販売されています。

自衛隊の官製品の類似商品が多数売られています。

カッパ、シャツ、リュックサック、ショルダーバックなどがあります。

ショップ職員によると、業者が同じため類似性が非常に高いとのこと。

ただし、ここは公的施設の非営利目的のため、大々的な宣伝ができないみたいです。

 

■運営

運営は陸上自衛隊で、入館料は無料。

高橋館長によると、来場者は年間約2万人とのこと。

 

■連絡先

陸上自衛隊新発田駐屯地 白壁兵舎広報史料館

〒957-8530 新潟県新発田市大手町6-4-16
TEL:0254ー22ー3151(内線468)

活動理念

皆様のご寄付とご協力をお願いいたします

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